2018年のシーズンをもって勇退するサッカー審判2級審判インストラクター4名(1名欠席)へ記念品の贈呈が、3月10日(日)関東サッカー協会開幕前研修会後にJFAハウスにて行われました。これまで多くの審判員を支えて下さった、卓越した指導力と情熱を込めた活動に心より感謝の意を表します。
◆菊池 勝美 千葉県インストラクター
この度は2級インストラクターを引退するに際し、慰労会まで行って頂きありがとうございました。
私が関東インストラクターになったのは長坂先生が委員長の時代であり、関東協会が良い審判員を育てるには関東大会の集合研修だけでは足りない、関東協会主催リーグでの審判員も指導していこうという方針のもと、全国地域協会に先駆けて関東審判委員会にインストラクター部が発足した時です。初代インストラクター部長は石井慶一氏で、部員は各都県インストラクター部長、及び関東審判委員会指名のメンバーを加えた20名弱であったと思います。
従って私のインストラクター年数は約30年弱で、多分、私が試験を受けずに2級インストラクターになった最後の一人と思います。
当時の審判委員会にはインストラクター手当てを出す資金が無く、関東社会人リーグと関東大学リーグに趣旨を理解して頂き、連盟から補助金を貰うことでインストラクター手当てを工面していたと記憶しています。
なおインストラクター手当ては、その後の審判員登録制度発足に伴い、審判員・インストラクターの登録費から充当出来るようになり、また2級インストラクターも年々増加することにより、関東女子リーグ、関東大学女子リーグ、U-18リーグへのインストラクター派遣を拡大することができました。先人の苦労した時代を思うと感慨深いものがあります。
先日の慰労会で、引退の挨拶をしようとマイクを持った瞬間に、何故か約30年位前のある光景を思い出しました。
それは茨城県大洗町の旅館で行った関東審判委員会の有志による暮の忘年会の光景でした。
メンバーは石井慶一氏、佐野氏(茨)、十河氏(栃)、舘氏(茨)と私の5名で、今年の反省と今後の指導内容・対応等を夜遅くまで語り合っていたことを覚えています。
なぜ突然思い出したかはわかりませんが、彼らの思いや教えて頂いたことは、その後の私のインストラクター活動における道標となり、非常に参考になったことは間違いありません。どれだけ出来たかなという面では不合格点が多かった気もしますが、この年まで2級インストラクターとして活動できたのも、あの時があったからではないかと思っています。
今後は県内でのインストラクター育成・指導を考えています。
長い間お世話になりました。今後の関東審判委員会の発展を祈念しております。
◆南雲 美紀夫 東京都インストラクター
『信頼のもとに人間関係が築かれる』
上記を皆様へのメッセージとして送らせていただきます。
今後も更なる活躍を願っています。
◆照山 寿光 茨城県インストラクター
この度、2018年度をもって2級審判インストラクターを引退した茨城の照山です。
私は1989年度から2級審判員、2007年度からは2級審判インストラクターとして12年間、通算して30年間関東サッカー協会審判委員会の皆様には大変お世話になりました。
私は現役時代から定年退職後の第二の人生はサッカー場のグランドキーパーをやりたいと希望していました。もちろん、そのための準備(関連ライセンス取得)もしていました。幸い縁があって現在、鹿島アントラーズクラブハウス練習場およびカシマスタジアムでピッチの管理業務の一員として毎日仕事をしています。 しかし、グランドキーパーはトップチームの練習日とホームゲーム時は(水、土日他)仕事となり、今までのようなインストラクター業務が出来なくなった為に引退することにしました。でも、違う側面から今後もサッカーに係わってまいりますので、よろしくお願いします。
現役審判員の皆さんが¨自分なりのサッカー感、審判観¨の軸をしっかり持ち、インストラクター指導の下、成長した姿をスタジアムで観るのを楽しみにしております。
最後になりますが、関東サッカー協会審判委員会の益々のご発展を祈念し、引退のご挨拶とさせて頂きます。
◆中村 敦 千葉県インストラクター
2012年度より2級インストラクターとして活動させて頂き、多くの先輩方からのご指導もいただきました。短い期間でしたが大変お世話になりありがとうございました。
今後は、皆様方のさらなる飛躍を期待しております。